第2回 阿部公彦(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)

「詩はなぜ死を語るのか」

 

 

学生へのメッセージ

この授業では「詩」と「死」が古来から持ってきた深いつながりについて、ウィリアム・ワーズワスの’A Slumber did my spirit seal’という短い詩を出発点に、英詩の歴史とからめながら考えてみたいと思います。

 


講義後情報コーナー

●履修者からの質問

・文学部Kさん

この詩の主語が気になります。たとえば最初はIではじまっていますが、次の主語はSheです。ISheが同一人物というようなことは考えられますか?

 

●阿部先生からの回答

 とてもおもしろい質問だと思います。つまり、一人称ではじまったナラティヴが、途中から三人称になるということですね。小説でも、明らかに語り手=主人公と思えるのに、主人公を三人称にしているということはよくあります。このリレー講義でも、これから登場する佐伯一麦さんの作品で、題材からすると明らかに私小説風なのに、主人公が二人称や三人称になっているというものがあります。英語でもHenry Adamsの自伝は、自伝なのに三人称で独特な味わいがあります。

 ただ、これらの場合、作品の中ではその人物が一貫して二人称や三人称になっている。 ‘Slumber’の場合、難しいのは、もし私がsheとして語られているのだとすると、Isheという移行が起きたと考える必要があるということになります。何しろぜんぶで8行しかない中で、しかもナラティヴの途中に大きな断絶のある形跡はないので、Iからsheへとそんなに簡単に移行してしまっていいのか、という疑問は残ります。

 その一方で、もともとitと三人称で語られていた対象がいつの間にかyouという二人称の相手として呼びかけられる、という例は、ロマン派の時代の作品を中心にけっこうよくみられます(ワーズワスもロマン派です)。詩のレトリックとして有名な「頓呼法」(apostrophe)というもので、これについては論文や本も書かれていますし、英文学批評の注目ポイントのひとつと言えます。

 というわけで、1~2行と3~4行とのつながりがあまりにスムースなのと、1~2行が3~4行の理由説明ととれることから(つまり、「まどろんだから、彼女が~に見えた」という解釈)、I=sheという解釈は、ちょっと深読みをしないと思いつかないかもしれませんが、そのような読みの可能性を出発点に考察を進めることで、英詩のおもいしろい部分に光りをあてることができる読みかなと思っています。ご指摘ありがとうございました。

 また、ISheとまで言わなくとも、1~2行でIが死の世界に足を踏み入れ、そこで彼女とめぐりあったという解釈の可能性もあるかもしれません。そうするとこの詩は自分自身を弔う作品ということになってきそうですね。

 

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●履修者向け: 朝日講座 第2回 講義メモ(TAノート入り)
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