学生へのメッセージ
過去の災害から得られる教訓を防災に生かすべきであることは、誰もが異論がないであろう。しかし、それと歴史学との関係は自明ではない。歴史学の観点から過去の災害を扱うことはどのような意味があるのか。1923年の関東大震災の際に奇跡的に焼け残った神田和泉町・佐久間町における消防活動と、阪神淡路大震災以前の関東大震災研究の中心をなした朝鮮人迫害事件の研究史をめぐって具体的に考える。
参考文献
鈴木淳『関東大震災 -消防・医療・ボランティアから検証する』(ちくま新書、2004年、品切れ中)
中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会『1923関東大震災報告書第2編』(同、2009年、http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/1923-kantoDAISHINSAI_2/index.html にPDFファイルあり
●履修者のレスポンス抜粋
◇工学系研究科M1
大変興味深い講義でした。とてもありがとうございました。理系の分野では、どこか折り合いをつけなければならないというようなお話がございましたが、確かに工学の授業では安全率なるものを導入して、現実的な範囲へと落としこめるといったものがありました。工学というものの性格上、仕方のないことだとは思いますが。工学系の分野それぞれにも歴史的な研究がありますが、それについて非常に感じるのは、そこでは文系の方々が持っているような歴史に対する上での心構えとは違うというところです。そうするとやはり文理融合、“歴史工学”のような学問があると面白いなと思いました。
◇文学部倫理学3年
確かに震災直後から圧倒的な物量で流される悲惨な情報の渦を目のあたりにすると、事実が多少曲げる事があっても人に希望を与えられる美談が要求される状況もとても理解できる。しかし、教科書に載る程有名になったからといって、その事ばかりを記憶に残させては人々の警戒心に隙を与えるという欠点も否めない。このような美談が美談として語り継がれるのは想定外の成功を収めたからであるので、やはり教訓として扱われるのは少し問題があると思う。
◇法学部第二類4年
おもしろかった。災害に付き纏う美談は多くの誇張を含むにしても、災害に打ちひしがれた人々が、それを聞くことで、「我々は災害に負けてはいない」という気持ちを抱くことができるのではないだろうか。美談は希望の現われ。
●先生からのコメント
近代史をやっていることの社会的責任を考えさせられる良い機会でした
来年度夏学期水曜1限に日本史学特殊講義「関東大震災の研究」を開講します
他学部でもご興味あるかたはいらしてください