第10回 

 柴田元幸 (東京大学大学院人文社会系研究科 アメリカ文学)

「幸福とアメリカ文学」

 

You Must Be This Happy to Enter などといった小説のタイトルからうかがえるように、happy / happiness という言葉はアメリカ人のあいだで、そしてアメリカ文学のなかで、オブセッションのように遍在している。そういう事情が、昔と今ではどう変わっているか、いないかを、具体例を挙げながら検討する。
 (なお、You Must Be This Happy to Enterは作者Elizabeth Crane、2008年刊で、タイトルは、プールなどにある「身長がこれ以下のお子さんは入れません」といった表示――You must be this tall to enter――のもじり。)
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参考文献

 

・アメリカ独立宣言(The Declaration of Independence:

  http://www.archives.gov/exhibits/charters/declaration_transcript.html

Nathaniel Hawthorne, The Scarlet Letter (1850)

Steve Erickson, Arc d’X (1993) スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』柴田元幸訳、集英社、1993年。

 

 

 

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

◇文学部言語文化学科 3年
今回は、文学における幸福の意味、両者の関係性について、改めて考えるきっかけとなった。多くの物語は幸福よりむしろ不幸の中に見出されるものであるということは、文学と幸福を考える上で非常に重要な点であると思う。この点はアメリカ文学だけでなく、日本文学にも言えることで、人の不幸や人間の弱さを描き出すことによってこそ共感を誘うことができ、そのような作品と向き合うことによって逆に幸福について気付かされることがあると思う。

 

◇工学系研究科 修士1年
今回の講義では、アメリカ文学を通して、幸福について考察した。……柴田先生がおっしゃられていたように、アメリカ⽂学の中では基本的に個人的な幸福が追求されているという見解は面白かった。文学という切り口からアメリカ人の価値観を考察するという観点は非常に興味深いものであった。

 

◇学際情報学府文化 修士1年
今回の講義で最も印象的だったのは、質疑応答で柴田先生がおっしゃったアメリカの幸福感である。「アメリカの幸福感とは、現状を変化させること。アメリカにとって幸福とは保つものではなく、目指すもの。」こうした幸福感はこれまでの講義で取り上げられた(日本の)幸福感とはかなり違うものである。社会心理学の唐沢先生は「自分を取り巻く環境に“適応的”であること。」とし、前回のトム・ガリー先生の講義内で取り上げられた辞書には「状況に満足していること」という記述があった。どちらも“現状認識”と言える。日本の幸福感が状況を表す形容詞であるのに対し、アメリカの幸福感というのは動詞に近いのではないかと考えた。

 

(以上)