人は必ず毎日どこかで寝ます。住宅というのは、この「寝る」という行為を定常的に担保するための空間であり、人間にとって不可欠の建築物です。しかし、住宅設計においては単に「幸せに寝る」ことばかりではなく、「幸せに住む」こと、住んでいる都市の在り様までをも同時に考えることが要求されます。この講義では、誰もが経験する「住む」という行為を、幸せの実感を持って成り立たせるための手掛かりについて、一緒に考えたいと思います。
・大月敏雄『集合住宅の時間』王国社、2006年。
・三浦展、大月敏雄ほか『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』王国社、2010年。
◇工学系研究科技術経営戦略学専攻・修士1 年
多くの人々が、誰がどのような意図で設計されたかが明快でない家に住まざるを得ない状況にある。それは、地域コミュニティの崩壊や自殺、孤独死といった問題に大きく関わりうる。このような状況を打破するような何か制度、あるいは仕組みづくりが必要なのではないだろうか。必ずしも行政に頼る必要はない。NPO や民間企業、または個人レベルでこういった問題に取り組む動きがとても重要だろう。東日本大震災にも見舞われ、日本の住宅は常に地震との戦いであり、さらに、住宅はCO2 を排出する大きな要因の一つでもある。このような問題と上記のコミュニティとの問題とを含めて、新しい住宅のあり方にイノベーションが起きることを期待している。
◇文学部思想文化学科美学芸術学専修・3年
もっとも示唆的だったのは、住まう上での「しあわせ」は、自ら環境に働きかけていくことである、という言葉だ。この言葉は、他の場面での「しあわせ」にも応用できると思う。人間関係や仕事、趣味などの領域において、自分が主体的に環境に働きかけることが幸福ではないだろうか。このように言わなくても、同潤会のアパートやアメリカ、フィリピンの事例などを見れば、住民が自ら住居をカスタマイズしていくことは純粋に楽しそうであり、幸福に直結していることは明らかであろう。
◇学際情報学府・文化人間情報学コース・修士1年
“幸福とは何か”をテーマに本講義を受講してきたが、前回の経済学に引き続き今回の講義を受講したことにより、「時代の変化とともに幸福のあり方も大きく変化する。」ことを強く感じるようになった。そうした時代の変化を最も顕著に表すのは今回の講義のテーマである“暮らし”である。人の“暮らし方”とは“生き方”であり、人物・社会を表すものであり、アカデミズムを越えて最も身近な“幸せ”に関連する分野であると感じた。 高度経済成長期からの東京都市部は“プライバシー原理主義”と言ってよい傾向に基いて発展をしてきた。誰とも会話しなくても衣食住が成り立ってしまうシステムが構築され、満員電車で体を他人と密着させていてもスマートフォンの画面を見ている限りは“ひとり”の空間が出来てしまう。そうした都市化に伴った“個人化”は行き過ぎとされ「ALWAYS 三丁目の夕日」を筆頭に、特にマスメディア言説において“昭和のこころ”を思い出そうという懐古論調が見受けられるようになった。しかし、都市化された現代に無理やり昭和のご近所付き合いを導入しても齟齬が発生するのは目に見えている。そこで、今回大月先生が提示された「20 世紀的な思い込みを外せば、人々のしあわせへの模索の姿が見えてくる。」という一文が将来を考える上で非常に重要だと感じた。
(以上)