空間を管理していくためには、空間に境界線を設定し、区分を行い、その区分ごとに管理方法や調整手続きを規定していくということが基本となる。地上においては、例えば、都市計画法では、様々な用途地域が設定され、その区域ごとに利用目的や調整手続きが規定されている。上空においては、領空と宇宙空間が存在し、各々の空間において異なる管理及び利用調整手続きが存在する。領空が国家主権に服するのに対して、宇宙空間は国家主権に服さないと考えられている。ただし、領空と宇宙空間の境界に関しては明確な合意はない。また、宇宙空間においても利用密度が高い部分については、交通管制のような利用調整やデブリ除去と呼ばれるゴミ問題への対応が必要とされる。他方、海上においては、陸地からの距離等に応じて、領海、排他的経済水域、公海という区域が設定されている。領海が主権に服すのに対して、排他的経済水域における主権的権利は資源利用や環境保全に限定され、公海は主権に属さない。また、様々な海域において漁業と資源開発といった多様な利用間の調整が要請されている。
この講義では、海洋と宇宙という空間に焦点を当てつつ、どのように空間を区分し、各空間においてどのように様々な利用調整を図っているのかという観点から制度的境界の問題を考えたい。
・酒井・寺谷・西村・濱本『国際法』有斐閣、2011年(海洋法の部分:西村執筆)。
・兼原敦子「沿岸国としての日本の国内措置」『ジュリスト』1232号、2002年、61-70頁。
・石橋可奈美「海洋環境保護とPSSA(特別敏感海域)」『香川法学』26巻3・4号、2007年、35-71頁。
・太田義孝「海洋空間計画(Marine Spatial Planning)の国際的動向とわが国での有効性の考察」『海洋政策研究』11号、2013年、1-15頁。
・森田倫子「我が国の海域利用調整の現状と英米における海洋空間計画の策定」『調査報告書 海洋開発をめぐる諸相』国立国会図書館、20013年、53-81頁。
・青木節子『日本の宇宙戦略』慶應義塾大学出版会、2006年(「第2章:国際宇宙法の基本原則」、「第6章:宇宙環境の保護-宇宙のゴミ問題」)。
・Nicholas L. Johnson "Space traffic management: concepts and practices," Space Policy Vol. 20(2004)pp. 79-85.
・Brian Weeden "Overview of the legal and policy challenges of orbital debris removal," Space Policy Vol. 27(2011) pp. 38-43. "
・太田義孝「海洋空間計画(Marine Spatial Planning)の国際的動向とわが国での有効性の考察」『海洋政策研究』11号、2013年、1-15頁。
・Nicholas L. Johnson (2004), ""Space traffic management: concepts and practices,"" Space Policy Vol. 20(2004) pp. 79-85.(*学内なら無料で閲覧可)
◇法学部 政治コース 4年
他国の同意や協力を得るために外交手段として他の問題とのトレードを行う、など独特の合意形成手法があるというお話があったが、そうして合意が得られたとしても科学的研究における最善の策が採用されるとは限らない。さらに合意が国民世論の賛同を得る(もしくはそもそも注目を浴びる)かどうかも分からない。国家間の政治、科学的見解間の対立のみならず、科学と政治のせめぎ合いが起こっているのが面白いと思った。
◇文学部言語文化学科 フランス文学専修 4年
今回の講義で主要なテーマとなった、海洋と宇宙における空間に関する権利の問題は、それらが間国家的 international なところにあるということから生じている。これは先日の授業における無国籍問題と根本を一にしている。そして、残念ながら、無国籍問題とこの海洋/宇宙問題とでは、実際にその解決のためになされていることの質・量に大きな差があるように思える。無国籍問題には国家の利害が大きくかかわらないが、海洋/宇宙においてはその領域問題が資源や開発の問題に直接的に関わってくる。そもそも、現在の問題は、国家の隙間が不可避的に生じていることから生じているが、ではその隙間にかかわる権利に関する倫理的・思想的根拠は基礎づけられているのだろうか。
◇文学部行動文化学科社会学専修課程 3年
EEZ や宇宙ごみといった、日々状況が目まぐるしく変化しつつあり、複数の国家の間での利害関係や海洋や宇宙空間といった非常に規模の大きな秩序に関わる問題を通して今回また改めて「境界」を考えてみることできた。そのことによって、授業の冒頭にもあった「境界とは秩序を守るためのもの」「境界は状況に応じた再構成が求められるもの」といった法学の立場から見た境界に対する考え方、定義づけが今一度新鮮なものとして私の中で受け止められたように思う。
◇文学部言語文化学科 英語英米文学専修課程 3年
技術の発展が既存の社会システムを揺るがすというのは人類史上普遍的な現象ということが出来るだろう。かつて海に乗り出すことが技術によって可能になったのと同じように、いま私たちにとって宇宙というのは必ずしも到達不可能な空間ではなくなったばかりか、そこに到る垣根はますます低くなっており民間での宇宙旅行さえ今世紀前半には実現されるであろう。私たちはこのような「進歩」によって、境界を越え自らの帰属先を拡張していく。その拡張の中で新たな境界が定義されていく。境界というのは常に解消されては新たに生産される。それは何故かといえば、究極的には私たちは境界に依存することなしには生きていくのが難しいからである。例えば言葉という道具ひとつをとってみても、その機能はつまるところ「あるものとあるものを区別すること」、すなわち境界を設けることにほかならないのである。私たちはしばしば境界に対して被害者然として振る舞うが、実際のところ授かっている恩恵を思い、その境界を産んだのが誰なのか考えれば決して浅はかには振る舞えないはずであろう。