ヒトとヒト以外の生物は進化的に連続しており、明確な境界線はないはずである。
一方ヒトをヒトたらしめる性質は様々に認識され、語られてきた。それらの出現過程を論ずることは容易でなく、様々な研究がなされてきた。
本講義では、化石の証拠から知られている人類既存最古の進化段階の理解と現生の類人猿を比較しながら、ヒトらしさの一側面を概観する。
・諏訪元「化石からみた人類の進化」,石川・斉藤・佐藤・長谷川(編)『シリーズ進化学5:ヒトの進化』、pp. 13-64(2006年,岩波書店)。
・『季刊考古学』118号(2012年1月号)「特集 古人類学・最新研究の動向」(2012年、雄山閣)
・サイエンス誌2009年10月2日号(ならびにオンライン Science 326)のラミダス猿人関係の一連の論文のうち、下記の解説記事+4編。
① Gibbons A ”A new kind of ancestor: Ardipithecus Unveiled.”Science 326(2009)pp. 36-40.
サイエンスライターによる解説記事
11本の論文のうちの総論に相当する論文。他は、地質・古環境関連が3編、体の各部位関係が6編、人類起源モデルの論文が1編である。総論論文では、調査背景、全身骨化石の出土状況、体各部位の特徴とその進化的意義、類人猿進化への新視点、系統論の要約、アルディピテクスからアウストラロピテクスへの移行とその意義などについてまとめている。
アルディピテクス・ラミダスの歯牙の比較形態研究。犬歯の縮小過程とその進化的意義と、エナメル質の3次元分布の系統的、適応的意義を中心に論じている。
アルディピテクス・ラミダスの上下肢のプロポーションならびに四肢体幹骨特徴を概観し、共通祖先段階の体構造とその進化的意義を論じながら類人猿進化を再検討している。
⑤ Lovejoy "Reexamining Human Origins in Light of Ardipithecus ramidus(ヒトの起源:アルディピテクス・ラミダスに基づく再検討)",
Science 326 (2009), pp. 74e1-e8.
アルディピテクス・ラミダスの新知見に基づき、人類起源期における直立2足歩行と社会性の進化モデルを提示している。
・諏訪元「化石からみた人類の進化」,石川・斉藤・佐藤・長谷川(編)シリーズ進化学5:ヒトの進化.13-64頁(2006年,岩波書店).
・季刊考古学、118号(2012年1月号)より諏訪先生の執筆部分
・Gibbons A ”A new kind of ancestor: Ardipithecus Unveiled”, Science 326 (2009), pp. 36-40.
*こちらの資料は、リンクのあるGibbonsのもの以外は、CFIVEの「教材」コーナーにアップしました。ファイルを開くのに必要なパスワードについてはCFIVEの「掲示板」をご覧ください。
◇文学部 文学部行動文化学科 社会学専修 学部3年
「わずかな差異をどのように判断するかが勝負だ」という言葉が印象に残った。チン
ンジーやゴリラ、ラミダスのどの種とも少しずつ類似点があり、身体的特徴と社会的特徴を相互に照らし合わせて検証していくプロセスがとても面白かった。
◇法学部 公法コース 学部4年
今回の講義において、人類と類人猿の生物学的な差異またその共通祖先について考える事になったが、グループワークでは人間を一番特徴づけるのは言葉であるという意見が多く、生物学的視点からの意見はなかなか出なかった。講義の最後に諏訪教授がおっしゃっていたように、私たちは人間を特徴づけるものとして言葉に大きな価値を置きすぎているのかもしれない。言葉を除外して考えるとき、地面におり、パートナーを持ち、社会的に生活する類人猿と人間との違いがあるといえるのか。難しい問いである。
◇法学部 政治コース 学部4年
生物のゲノムの解析技術が発達してから、種の間の線引きがはっきり科学的に証明されるようになったと予想していたが、今回の講義を聴いてむしろ、割合にすればほんのわずかなゲノムの違いよりも、人間が認識できる形態的行動的差異が線引きに果たす役割が多いのではないかと考えた。同じ種の中でも突然変異などによって単なる遺伝子的違いは簡単に生じ得るが、それを何らかのボーダーと捉えるかどうかは、表出する形態や行動を人間に固有なものと価値づけるかに左右される。ゲノムの解析は、人間と類人猿の(割合的な)遺伝子的近似性を明らかにすることで、人間の間での身体的・行動的特徴が遺伝子的にはいかに微細な差異によって生まれるかを認識させる点に意義があると思った。
◇文学部 言語文化学科 フランス語フランス文学専修 学部4年
グループワークでは人類と類人猿の境界線について考えた。自分は言語や二足歩行、繁殖期の有無など当たり前のことしか思いつかなかったが、人によっては見た目や親近感など、直感的な意見を持っている人も多く、第四回のペットの講義を思い出した。「正直毛むくじゃらのラミダス猿人よりペットの犬のほうに愛着を感じる」という素朴な意見が出たときそれはその通りであると笑ってしまったと同時に、そういう奇妙な愛着のあり方こそ人間かもしれないと思った。類人猿にも自意識はあるらしいが、ではどういう愛の観念を持っているのか、謎は深まった。
◇文学部 文学部行動文化学科 社会学専修 学部3年
私たちにとって、人類が他の類人猿とは異なる種だというのはあまりにも当然の事実であり、何がこれらの種の境界なのかということは今まで全く考えたこともなかった。今回のようなテーマでグループワークをする中で、「他の種との違い」について考えることは「同じ種のすべてに共通していること」は何なのか考えることに繋がるのだと気付いた。どうしても「人類」について考えると、今の自分と同じような外見で、同じ言語を用い同じ文化圏で生活している人々をイメージしてしまうが、容姿も言語も文化も全く異なる人も生物学上同じ人類であり、進化学の上では「一つのもの」と括られるのだろう。自分と類人猿の違いを考えたことがないのと同様に、自分と全く異なる人が「同じ」だと考えたこともなかった。