江戸時代までの日本には民法にあたるルールはあったが、民法という考え方はなかった。明治時代の日本人はフランス伝来の民法に遭遇し、その思想に惹かれた。やがて民法典が制定され、百年を経たいま、その大改正が行われつつある。しかし、現代を生きる私たちは民法の思想を理解しているのだろうか。
「共に生きるための知恵」という課題設定を受けて、民法学者である私が立てる問いは、上記のようなものである。
① 大村敦志『法典・教育・民法学』(有斐閣、1999)より「民法と民法典を考える」
② 大村敦志『20世紀フランス民法学から』(東京大学出版会、2009)より「民法典を持つということ」
③ 大村敦志『民法改正を考える』(岩波新書、2011)
④ 池田真朗『ボワソナードとその民法』(慶応義塾大学出版会、2011)より第1章・第2章
⑤ 色川大吉『明治の文化』(岩波現代文庫、2007)より第Ⅲ章
参考文献の①
◇「民法を作るということは、自らの手で社会を構築していくことである」。今回の講義では、一人の法学徒としての考えが改まった。というのも、民法とは私達が生きる中で守らなくては行けないルールである、というネガティブな視点でしか民法ないしは法律を考えていなかったからである。この講義では、明治期の新しい日本を作っていく人々の民法の捉え方を理解しイメージすることによって、現代の私達にとっても民法とは新しい生き方を提案するツールなのだと、言葉の上ではなく心から実感することが出来た。
◇討論での「成人になると権利を得られるだけでなく義務も与えられる」という学生の発言などを通じて、法律は現状を縛る一面がある一方で、現状をより高度なものに引き上げる側面もあると感じた。法律の中でも民法は、市民の倫理観や自主性にゆだねられる部分が大きいという。民法の束縛が強すぎると息苦しい世の中になりそうだが、各市民の倫理観や自主性を高めるという点では、教育などを通じて民法と市民がいかに共存していくべきか、学ぶ機会をより増やしていくことができればよいのにと考えた。
◇私は、フランス法という異国の法が日本にどのように取り入れられたのかという意味での共生、ディスカッションテーマであった「民法と成人」のように全ての場合に必ずしも実態に即しているわけではない法と実態の折り合いの付け方という意味での共生、そして、そもそも「民法」自体が共に生きるための知恵であるという3つの共生が今回あったと思いました。
◇法とは何であろう。社会において我々はその存在を自明なものとして考えてしまうが、社会的齟齬や衝突があったときに仲立ちとして法が(とりわけ民法が)必要とされるとするならば、法など無用となる社会をめざすべきなのではないか。荒唐無稽な意見かもしれないが、違った価値観、違った条件のなかで生きている人々にとって、極力法律の条文が少ない社会、必要としない社会が共に暮らしやすい社会なのかもしれないと思った。