地球の自然環境が人類共存の要であることはもはや常識になっています。しかし、自然環境を守ろうとする行為や政策が社会の側に何をもたらすのか、という点になると、私たちの考えの射程はあまり遠くまで及びません。資源・環境への介入は、森林面積の増減や、水の持続的な供給といった自然環境の物理的な側面の変化だけでなく、人間社会における権力の配置にまで影響します。自然環境政策は林学や水文学に任せておいてよい問題ではなく、統治の在り方に深く関係した社会科学的な問題です。
この講義では自然環境への介入に大きな役割を果たす国家の役割に焦点をあて、環境ブームにのって国家の役割が拡大することが、特に途上国の貧しい人々にとってどのような意味があるのか、皆さんと一緒に考えたいと思います。
① 佐藤仁「問題を切り取る視点―環境問題とフレーミングの政治学」石弘之編『環境学の技法』(東京大学出版会、2002年)、41-75頁.
② 佐藤仁「自然の支配はいかに人間の支配へと転ずるか-コモンズの政治学序説」 秋道智彌 編 『日本のコモンズ思想』(岩波書店、2014年)、176―94頁.
参考文献の②
◇途上国の場合、先進国の押し付ける環境問題についての理想論よりもどうしても開発が優先されてしまう以上、途上国での環境問題を考える際、環境をどうしていくかを先に考えるよりも環境に大きなダメージを与えない開発をどう行っていくかという視点から出発した方がいい、という最後の講評が印象的だった。先に発展を遂げ先に問題に直面したのは先進国なので、環境問題への対処についてはそういった国々の理屈が途上国のどのような問題にも応用できると考えられがちだが、それぞれの途上国の持ち味を生かした解決法を確立していくことが大切だと思った。
◇「今の世界は開発の時代・環境リスクの時代を経て環境統治の時代になっている」という考え方は私にとって新鮮なもので、このような視点のとり方があるのかという気付きが面白かった。途上国と先進国、地球全体の利害調整を図るにあたり、明らかに優位に立つ先進国が枠組みを決めることを否定的にとらえ、途上国の基礎体力をつけさせていくという方針は響きはよい。しかしそれで間に合うのか、半ば強制的不平等的でも具体的現実的即効的な方策を取らざるを得ないのではないかと思う自分も、それは共存の趣旨に反すると思う自分も同時に存在し、「これが正解」というものが存在しない課題の難しさを実感した。
◇先生の説明からは国家が主体となって環境への統治を外部から拡大しているともとれるが、むしろはじめは国家よりも下位の個人間や個人と集団で解決できていたような問題が、環境や資源の質(具体的には所有権を明確に観念できるかなど)が変わることによって、より上位の相互調整役、つまり国家を必要とするようになったのではないか。今後は、地球温暖化といった地球規模の環境問題によって国家よりもさらに上位の機関の出現が相互調整のために必要とされると思う。
◇公害を先進国から発展途上国に輸出することを奨励した「サマーズメモ」ですが、不謹慎ながらなるほどと思う半面、やっぱりどこか先進国の自己中心的なところがあり、輸出される側の立場はどうなるのかとも思いました。今回の討論テーマですが、何をもって「問題解決」とするか難しいところでした。そもそもまるで問題が解決しないなら「先進国の問題解決法を輸入する」ことなんてあるのか、或いは「先進国が主導して進める政策は、途上国の実情に合っているのか分からない」などと思う一方、「経験から得た知識のほうは先進国がたくさん持っているのだから、それは発展途上国でも利用できるのでは」、という印象も持ちました。