上丸先生ご指定
・『新聞と「昭和」(上) 』 朝日新聞「検証・昭和報道」取材班 (著) 朝日新聞出版 (2013) より第11章「8-15朝刊の謎」, 241-261.
※履修者には書籍・論文を貸し出します。詳細は初回授業でお伝えします。
通常はグループワーク参加者が多い一方、議論時間が短いため各人の意見を表明してすぐ終わってしまうことに不満を感じていた。しかし今回の先生方の鼎談は、それぞれの意見をさらに深めて、別の視点を提供し、と他者の意見を聞く場として刺激的でとても勉強になった。赤川先生は中立ではなく、自分の価値に対して不都合なものとどう向き合うかこそが重要であると述べていたし、その考え方は共感できると同時に興味深かった。そして朝日講座では媒介/メディアを見ることで物事を多面的に見たが、それは時に自らの不都合と向き合い、時に利害対象ではないものと真剣に向き合う試みだったと私は思う。(文学部・社会学)
今回紹介頂いた敗戦前後の記事の数々は、明らかに作為的に強調されたものである。だが、そこに意思が介入したから直ちに「公平性が失われた!」と糾弾するのも疑問が残る。元々、取捨選択が働いている時点で公平性は欠如しているのである。つまり、1か0かの話ではなく、これは段階的なものである、と私は思う。たとい記された内容に人工的な嘘偽りが一切なくとも、その記された内容のために載らなかった内容があるのであれば、公平性を欠くことになる。この点を常に意識せねば新聞の本質は捉えられなく、盲従してしまう怖さもある。(文学部・東洋史4年)
今回の講義を受けて最も印象的だったのは、質問の仕方でこんなにも大きく答えが変わり得るということだった。講義の際にも出ていたが、マスメディアが中立であることは難しいと考える。それは、マスメディアが何かしらの点で収入を購読者、受信者から得ているとすれば、その人たちが好まないような議論を掲載し、収入源を失うことは避けようとすると考えられるからだ。一方、独立であり得るかという問いに関しては、政府や公権力から独立ではあり得ると思う。また、収入源を購読者におかないとか、非営利組織であるなどすれば、マスメディア自らの信念を勝手に唱えるという意味での独立ではあり得ると思う。(経済学部・経済学科3年)
新聞報道と文系学部の存続に共通するものは、真実とは多面的で長いスパンで考えなければならないものであることだと思う。人間の思想・歴史・あるべき姿など確固とした答えのない問を考え続ける意義や成果は分かりづらい。しかしこうした地道な努力を怠った末に戦争があり、人々の悲しみがある。人は人について考えること、想像することを放棄してはならない。(経済学部・経済学科3年)
「独立である」ということは、必ずしも「戦争を支持する世論やイデオロギーに対する反骨精神」であるとは限らず、むしろ「時流に流されず、情報を的確に取捨選択し、己の信ずる価値観に従って意見を述べる」ということなのではないだろうか。戦争に対峙したマスメディアや学問の役目とは、単なる「反戦の砦」ではなく、「判断材料をできるだけ偏りなく、幅広く提供すること」であると私は思う。(教育学部・教育実践政策学コース3年)
中立という言葉に対して自分たちの世代前後が持っている違和感や、不信感がディスカッションではそのまま出ているようでした。一方、難しいとは考えながらも「線上に存在しない独立」の方が可能性があるとするなど、自分もほぼ同意見でありながら、一つの面白い傾向があらわれていたと思います。中立という概念では、大学や新聞以外のおそらく他のあらゆるものでも変わらなかったと思います。これはインターネットや個々人のジャーナリズムであっても同じで、独立は容易だとしても、中立は実現可能とは思えません。(人文社会学研究科・思想文化修士1年)
今、私たちに必要とされているのは、目の前に存在する、新聞をはじめとするさまざまな主体が語る事実を読み解くためのリテラシーであり、それは、単に情報の意味を深く理解すると言うことのみならず、情報に対する自らの態度や思想を決めると言うことをも意味しているのだと思う。パリ同時テロという現代の戦争に対して、国内外のメディアはさまざまな反応をしたが、この事実の意味を正しく理解できる人間が果たしてどれだけいるだろうか。異質な社会や歴史を持つ他者を排除したり差別したりしようとする感情や意識から、人間はどれだけ自由になれるのだろうか。(人文社会系研究科・文化資源学修士1年)
私はマスメディアが固有の社会的機能を持っており、政治や経済に対してある種の独立性をもつといってよいのではないかと考える。例えばマスメディアは極めて特殊な体系をもって報道内容を決定しており、これらは単純に「国益に利するもの」とか「視聴者の望むもの」と言い切れないように思える。学術的にマスメディアを対象とするならば、悲観的になる前に、これらを明らかにした上で議論することが必要だと思う。(学際情報学府・社会情報学コース修士1年)