・アンリ・ルフェーブル著、森本和夫訳,『都市への権利』(ちくま学術文庫),筑摩書房,2011
・岡部明子,「都市への権利:SDGsの示す「誰も置き去りにしない」世界のために」『世界』2017年9月号,pp.161-172
◆都市への権利とは都市と私たち自身を変革する自由であるという説明を受けたとき、それは単にだれでもアクセスできる空間以上のことを指しているのだろうと理解しました。その差異を考えるのが難しかったのですが、たとえばその空間を起点に都市全体を変えうる空間だとすれば、まさに政治の中心たる古代ギリシアのアゴラなどを理想とするという考えにも納得がいく気がします。すると、もう少しかみ砕くならばその年を代表representするような空間ということをも包含する概念なのかなと思いました。つまり、その都市と聞くと誰もが思い浮かべる、顔となるような空間、その空間が変わってしまうと都市そのものが変化してしまうような空間を指しているのではないかと。少し先生の説明からそれてしまったのですが、それが東京にあるのかという議論はすごく楽しかったです。(法学部 4年)
◆今回は、ルフェーブルの著作「都市への権利」に言及される「使用価値」と「商品価値」という概念を実感することが難しかった。おそらく、様々な建物はある目的のために建てられるが、目的が商業的でかつそれ以外の副次的な目的ないし効果を持ち合わせないものが「商品価値」になってしまっている都市である光景なのだと考えた。「使用価値」の説明の意味するところはわかるものの、腑に落ちないことはまさに日本が社会活動の成功を未体験であることに起因するのかもしれない。また問いの「非西洋巨大都市における居場所」についてはその空間的制限から、西洋の都市とは異なり一時的に現れたり消えたりするという性質があるのではないかという議論が大変興味深かった。今後更なる人口の都市集中が予測される世界において、商業的価値の低い空間が従来担ってきた役割を引き継ぎつつ都市を変えていくかという課題を解決しなければならないだろう。(工学部 4年)
◆都市、と聞いて私が最初に思い浮かべるのは、フランスやドイツの大都市である。都市とは、居場所を追われた人々が流れ込み、新たに居場所とする場所である、ように思える。たとえば、難民が流れ込んできた現在のドイツやハンガリーの都市が分かりやすいだろう。そこに元々住んでいる人の難民に関する感情やら何やらはこの際不問にするとして、難民たちは安息する居場所を求めてやってくる。ある意味、「パンと見世物」という言葉に近いかもしれない。そういった人々もいる中で、我々が我々のために都市をカスタマイズできる権利、いわば「都市の権利」を皆に認めてしまうのは、いささか危険なような気がする。難民の「居場所」がそのまま元の住民の「居場所」になるとは限らないからだ。とはいえ、平等に保障しなければ人権問題になりうる。この話は非常にデリケートで、日本人は議論を嫌がるかもしれない。だが、今こそこのことを考えるべきだろう。(教育学部 4年)
◆日本では餓死より過食死の方が多いという話が印象に残っている。そこから物理的な安全性と精神的な安全性のどちらを重視するのか、またそれらをどのように折り合いをつけて浮揚していくのかということを考えた。日本では都市に対する権利が昔から全くなかったかと問われると肯定はできない。過去、日本人は路地、つまり公共道路に対して植木鉢を置き、洗濯物を干した。その時代人々はいまよりも生活に対して主体性を持っていて、また家内にスペースがなくとも豊かな生活を送ることができた、つまり精神的な安全性を今よりも達成しやすい環境だった。しかし経済合理が重視され、移動の効率化・高速化が進む中で、カオスな道路空間に対する安全性への希求が高まった。その結果生活はより内向きに、家内で完結するようになり今の生活が成立したのだと考えた。まずは餓死が少ないことを喜び、次なる浮揚のために精神的なインフラについてより深く考えようと思う。(工学系研究科 修士2年)
◆「都市」はいろいろなところから多くの人が集まる流動性の高い混沌とした場所である。であるからこそ、他の村落と比べて、新しく入る人に対して寛容で居場所を確保しやすいと考えることもできる。この授業では、「都市への権利」ということであらゆる人が都市に加わり、居場所を獲得することが出来るという権利が主張されていることを学んだ。その一方で、都市への権利に対して全面的に賛成できないという主張も国レベルでなされている。難民が大規模に流入している都市の存在がその背景としてある。地球全体でヒトやモノが大移動する中で、一つ一つの都市がスケールダウンして、排他性の強い村落に近づいているのではないかと考えられる。そのような状態であるからこそ、都市にコミュニティとしての機能を付与又は強化させることが重要であると言える。都市と村落の強みを生かすことが都市への権利を考える際に重要だと考えた。(工学系研究科 修士1年)
◆今回の講義で特に印象に残ったのは時間的にダイナミックな「広場化」としての広場のあり方と、作品としての都市は「祭り」だというお話である。広場化のお話を聞いて「居場所」概念を物質的空間を越えて、人を選別せずに帰属意識を提供する「場」全般として捉えることができるようになった。また、このような感覚を満たすという非経済的な便益を万人に提供する機能を担うのが「祭り」ないし「政」であると感じた。これによって人の選別なく所属できる「居場所」となる場を提供するのが都市政策にとって重要だという視点を得られた。(農学生命科学研究科 修士1年)