・山崎亮,『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望』(PHP新書),PHP研究所,2016
・菅豊,2013『「新しい野の学問」の時代へ―知識生産と社会実践をつなぐために』岩波書店.
◆ 街やコミュニティ作りは、行政等が主体となって箱を用意するのではなく、経験を共有する住人たちのコミュニケーションの中で行っていくべきだというお話が強く心に残った。「上からコミュニティを与える」という発想のもとではどうしても物理的な場所を作る、あるいは商業的な発想に傾倒しがちであることは以前の講義でも取り上げられていたが、そうではなく住民自体がコミュニティづくりに参加し、その過程で自然とコミュニティが生まれるという事例はとても新鮮だった。自分の地元秋田県のお話もあったが、高齢化という「悪い」事象にとらわれるのではなく、実際に暮らしている高齢者の元気さ、パワーに着目し掘り下げられているのは目から鱗が落ちるような思いで、自分もそのような着眼点で地元や地方について考えていきたいと思った。(法学部 第一類・4年)
◆ この回を担当させてくれたのが本当に良かった。以前からコミュニティデザインについて知ろうとするとその権威として紹介される山崎先生の講義はとてもアイデアにあふれていて楽しかった。また、後半のグループワークも「(場所にとらわれない)つながり」の取捨選択によって住む環境を決めているのではないか、というメンバーの意見に納得させられた。建築学科として来週また山崎さんを呼んだ講義があるのだが、それまでにまた新しい本でも読んでおこうかと思った。(工学部 建築学科・3年)
◆ 本講義は拡大版ということもあり、二名の先生方の講義を聴くことができた。その中で最も心に残っているのは、山崎亮先生の「現場で分野を混ぜる」という言葉だ。山崎先生の講義を通じて、いかに主体性を持つか、すなわち、何かを決める際にはそこに加わること、自分たちの責任で話し決め、主張し、組織を作り、考えていくことの必要性がわかった。また、「対話」というのも山崎先生が私達へ投げかけたキーワードだったと考える。泉佐野丘陵地公園の事例から、どのように住民を巻き込んでいくか、そのプロセスはいかにすべきかということがわかり、また横浜の障害者との関わり方の事例から、結局のところ物事を決めつけているのは私達の側であって、相互に特別感を抱かない方が良い世界になっていくのではないかと考えた。非常に学びの多い講義だった。いつか山崎先生のワークショップに参加してみたい。(文学部 思想文化学科 哲学専修課程・3年)
◆ ディスカッション中に「現代では多くの人が職のために住を諦めている」との発言があった。職という言葉の中には、世の中あるいはマーケットのニーズ・評価に従って価値を提供し対価を得る、という要素と、自分が果たすべき、果たしたいと思うつとめや役割を果たすという要素があると思う。つまり、他者の基準に合わせる側面と自律的に動く側面がある。冒頭の発言は前者が強まりすぎていることから来るものではないだろうか。前者の要素を重視して職を選ぶことは、確実に需要がある何かを供給するという意味で重要だが、他者の基準に沿うことに没頭するうち、自分の存在を懸けて本当に必要だと思うことをやろうと思わなくなる可能性があると思った。それに対して、後者を重視するということは、自分の存在を懸けて本当に必要だと思うことをやるということだから自分の経験や思いをしっかりと見つめなければいけない。ゆえに、住を重んじることになるのだと思う。(経済学部 経済学科・3年)
◆ 今回の授業の中で感じたことは、居場所を複数持つことの重要性である。居場所があると人は孤独を感じず、それによって人が救われることすらもあると思っており、それが複数あることによって、依存的関係にならないのではないか、と思う。ここで私が想定していた居場所はコミュニティとも言い換えられると思っており、すなわち他者がいることを想定していた。しかし、議論の中で、例えば、西村先生がおっしゃっていたお地蔵様を掃除するようになった方のエピソードなどは、ある意味そのお地蔵様がその人の居場所になったと言い換えることもできる。その点で重要なのは、山崎先生がおっしゃっていたように、役割があること、とも考えられる。同時にまた、その役割を外して存在そのものを承認されることも、重要であるように思えた。「居場所」を構成する要素を整理したいと思った。(教育学部 教育心理コース・3年)
◆ 今回の講義では「居場所」概念のハード面のあり方よりもソフトの内容として他者との社会的な関係性にも着目でき、それによってディスカッションでもよりこの概念の本質に迫る内容になったと感じる。ディスカッションでは、居場所の多様性を担保しておくことで全ての居場所を失うリスクを避けたいという考えはメンバー内である程度共通していた。しかしその中で、それぞれの居場所にいる自己をどれくらいリンクさせていくか。具体的なインプットやアウトプットが生活と仕事で同所的に直接循環するレベルか、一方から得た気づきを他方に昇華するレベルか、自身の理念的なあり方のレベルか、このような程度の差が人によって大きく異なると思う。自分はどのようなあり方を理想とするのか、考えさせられた。(農学生命科学研究科 生圏システム学専攻・修士1年)