・水町勇一郎,『労働法入門』(岩波新書),岩波書店,2011
◆職場を居場所とすることの良し悪しについては、或る場所を居場所とするということに広狭二義を設ける必要があると考えた。或る人が或る場所を居場所とするということは、広義には、その人の時間的な又は空間的な動態などの客観的指標において、その場所が中心的な役割を果たしていることを意味することとする。他方、狭義には、これに加えて、その人のその場所に対する主観的な意味付けがあること、とりわけ連帯や忠誠の意識の対象であることを意味することとする。「仕事もするが、趣味が生き甲斐」と言う人は、広義においてのみ、「仕事が生き甲斐」と言う人は、広狭両義において、職場を居場所としている。注意すべきは、意味は違えど、両者共に、職場を居場所としている点である。思うに、職場を居場所とすることの弊害は、居場所というものが狭義においてしか存在し得ないと考え、そこを広義の居場所とのみしている人に対して疎外感を与える時に、生じる。(文学部 4年)
◆働くことと生きる上での喜びややりがいの混同や押しつけの価値観が現代の労働問題につながると考えており、固定的な労働観念(朝から晩までの労働時間や出勤等)の改善や単位時間あたりの労働生産性の向上、全員一致の労働時間や労働後のプライベート時間への干渉への再考などが改善案としてあげられるが、法律としての規制は未だ実態への直接的な効果が見込めない以上現在の方策に満足せず働くこと以上の個人のやりがいや喜びの追求を保証できる制度の必要性を感じる。一方でこうした労働観念はプライベートと労働との境目が曖昧であることが理由の一つとして考えられ、集団や準イエとしての企業共同体という現代の時代とマッチしない観念の改善や働くことの目的の追求を各々が行っていかなくては根本的な改善にはつながらないと感じる。これからの次代を担う私達が労働目的の追求や時代遅れの慣習・観念の改善を目指すことが何よりの改善策ではないだろうか。(文学部 3年)
◆私は今回の授業を受けて、個人が持つ居場所というものが複数化してきていると考えた。人間関係をとってみても、SNSを介した人間関係は多くの人と繋がれることは利点の一つではあるが、その分関係を断つことも容易である。時間的にも精神的にも繋がれる人の数には限界があるので仕方がないが、人間関係全体が繋がりやすく離れやすいという傾向になってきているように感じる。今回のテーマである職場について考えてみても、定年退職まで職場を変えないことが当たり前であった終身雇用の体系は失われつつある。このように、現代は居場所を獲得しやすい分、居場所を失いやすい社会になっている。このような社会で自身の居場所を一つに絞ることは危険である。職場のみを居場所としてしまうと、退職後に居場所を失ってしまう、家庭などの居場所に比べて職場では責任が伴うので、たとえ居心地が良いと感じていても精神的負担が大きいという危険がある。(教養学部 3年)
◆日頃から主に就活関連で「居場所としての職場」を歓迎するような情報に晒され続けながらもその感覚におぼろげな疑問を抱いていた私にとって、今回の講義でその価値観を文化的差異や時代間差異の中で対象化して捉えることができたことは大きな収穫だと感じた。職場の「居場所」としての欠陥は企業間競争の激化により労働が過剰に「かせぎ」化して社会性が空虚化することと、そのような場に過度にアイデンティティを預けて他律性や手段性の中に身をおいてしまうことが同時に起こっている点だと考えられる。このような状況を認識するとともに、就活を前にして主に家と研究室という狭いコミュニティにこもっている現在の状況を顧み、生身の自分が社会に繋がっているという感覚を持てるような将来の居場所をうまく見つけ出すためにアンテナを張っていく必要性を感じた。(農学生命科学研究科 修士1年)
◆講義では、これまでの日本における、働くことの喜びの面の重視、苦しみの面の軽視が指摘され、働くことの苦しみを重視し、働きすぎの慣行・意識を変えようとの動きが指摘されたが、これに加えて、働くことの苦しみ自体を軽減させていくことも大切なのではないかと感じた。具体的には、生きることと働くこととの関係を目的と手段、自律と他律のような二項対立で捉えるのではなく、働くことと生きることを重ねることができるような働き方を許容・促進していくような慣行・意識へと変えていくことが重要なのではないかと感じた。また、労働観が社会から無意識のうちに強要されているかもしれないという点に驚いた。労働観だけに限った話ではないが、価値観は人によって違うこと、またその価値観は社会により影響されていることを改めて認識した上で、これからの研究や活動を行いたいと感じた。(工学部 4年)
◆水町先生はカトリックとプロテスタント、日本近世の労働観を比較してそれぞれが現在の労働観に影響していることを示した。日本では今まで長時間労働や過労死が問題視され続けてきたが、これも近世社会の「イエ」のために働く意識から続いているものであるという説明は興味深いものであった。講義に続いて、職場と「居場所」の関係について議論した。そこでは、他律性の観点から職場を主要な居場所として依存することの危険性が主張されたが、一方で職場に深く関わるのも生き方の一つである。つまり、職場に深く関わりたい人とそこまで深く関わりたくない人が両方いたとしてもそれらを共に受け入れられる職場にあることが、両者にとって居場所を維持するために重要であるといった議論がなされた。職場は前述のように他律性を有するが、その中でも自分が自主的に関わり方を決め、職場もそれを一定程度許容するような環境が重要だと考えた。(工学系研究科 修士1年)