田中 淳

(情報学環・学際情報学府)

「災害情報災害とつながり―社会関係の中で生きる人間像―」

予習文献

・田中 淳「避難しないのか、できないのか-避難行動と防災教育」佐竹健治・堀宗朗 編『東日本大震災の科学』東京大学出版会, 2012, pp.127-153

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

◆ 災害によって人々の繋がりの形は変わる。人間関係が壊れていくだけではなく、他にも互酬性が顕在化することで引目を感じたり、被災の程度によってランク付が起きたりすることまで、災害がもたらす負の側面は様々にある。さらに私は想像は行き届いていなかったが、繋がりは奪われるだけではなく生まれることもある。つまり、それぞれの個人は日常では意識することがなかったような、立場や状況の違いを突きつけられながら、しかしそのような他者との共存を迫られているのだ。しかし、そもそも被災者に画一のイメージを持ち、そのレッテルを押し付けていないかということも考えなければならない。その結果、「被災者という役割」に対してマスは理解したつもりになり、腹一杯な気持ちになりうる。被災状況も感情も個人ごとに異なるため、そのフレーム化は外の人の都合に良いからに過ぎない。真に寄り添うということはお互いの間にある差異にも自覚的である必要があると思った。(法学部 第三類 3年)

 

◆ 本講義ではグループワークの進行役を務めた。予習文献として東日本大震災に関する文献を拝読したが、あの地震が起こった仕組みと共に、大災害に逆らえない人間の脆弱性、それに対する予想不可能性をはっきりと感じることになった。グループワークではテーマとして災害によるつながりの断絶や、それを引き起こしてしまう理由、そして日常生活における示唆を考えることになった。私のグループでは、人・地域・社会に分けそれぞれのつながりを考えた。様々な意見が出たが、最終的に先生が仰った「被災者意識の共有」という言葉にハッとした。災害を受けた方々を被災者と世間は言うが、その呼び方そのものが彼ら・彼女らのあり方を規定することになり、より断絶を生むのではないかと考えたのである。災害によってのみ規定される枠組みに「被災者」を入れることは、実に危険なことであると思う。彼ら・彼女らを全人格としていることができないからだ。まさに「被災者に寄り添う」というのは、全人格を持ってして彼ら・彼女らを見ることに他ならないと思った。(文学部 思想文化学科 哲学専修課程 4年)

 

◆ 大震災に伴う人のコミュニティや考え方の変容(崩壊)について社会心理の目線で見る「つながり」を学ぶことができ、非常に興味深かった。特に面白いと感じたのは「Just World理論」で、世界は蓋然性が高いものであるにも関わらず、私たちは常に、世界に対して公正であるという考えを持っていて、その考えが大震災という局地的で偶然のダメージを受けた時に崩壊する(また、「自分は悪いことをしてないのにどうして」と絶望する)ということだ。そもそも、実際には世界は私たちに対して全く公正でなく、ただの偶然の上に成り立っているにすぎないのに、どうして人々はそのような公正な世界という世界観を持っているのだろうか、ということを考えると、おそらく、現代の文明の根幹である世界観だからだろうと思う。規律のある道徳的な行動を社会が人に要求するためには、規律を守って道徳性のあるふるまいをしていれば世間(世界)はそれを評価する(公正である)という刷り込みが必要だからだ。しかし、自然災害という大規模なダメージに対して、簡単にそのような世界観が壊れてしまうと考えると、人の住む文明はいかにもろいものだろうかと思う。講義ありがとうございました。(教育学部 教育実践政策学コース 3年)

 

◆ 今回の講義では初めてつながりが絶たれるということを議題にした内容で新しさを感じた。様々な震災によって多くのつながりが絶たれる。これにより気づけなかったつながりというものが見えるというのはおもしろいと思った。死によるつながりの断裂に限らず様々なつながり分断が起こりえるということをこの講義を通して知ることができた。震災の復興とはこのつながりの修復も含まれているのだろうと考えることができた。しかし、果たしてそれは可能なのだろうか。できることとできないことがあるだろう。死による別れにやり絶たれたつながりを修復することはもちろんできない。しかしその代わりとなるようなつながりを作ることは可能かもしれない。震災の心のケアというのがそれにあたるのかもしれないがそう簡単なことではない。どうしていくべきか、地震大国である日本にすむ私たちは考えなければならない問題だと思った。(理学系研究科 天文学専攻 修士1年)

 

◆ グループワークでは災害によって、なくなってしまう「つながり」に焦点を当てて話していたが、災害によって新しく作り出される「つながり」もあると改めて考え直して気づいた。視点を被災地に限定するのではなく、日本全体にまで広げたら被災地をハブとして復興に向けて資源が各県から集まることになる新しい「つながり」を発見できる。わかりやすい具体例としてはボランティア同士の交流であろう。各々で活動していたボランティア団体が災害を機に、被災地で互いに交流することになる。これによって各団体が狭い地域にとどまることなく、県を超えた関わりを各ボランティア団体にもたらすことになる。これと同様の働きは建築業などの災害復興の事業に関わる企業団体にも言える。またソリッドな世界観を維持しているボランティアが、被災者に関わることで彼らの崩れつつある世界観をもとに戻すつながりも期待できるのではないか。このように災害によって新しい「つながり」が作り出される可能性はある。実際にこうして誕生した新しい「つながり」がどの程度の継続性、発展性を持っているのかは非常に気になった。(文学部 人文学科 社会学専修課程 3年)