・下山 晴彦編,『臨床心理フロンティアシリーズ 認知行動療法入門』講談社, 2017
・ブレイディみかこ,『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』新潮社, 2019
・安田夏菜,『向こう岸』講談社, 2018
複数のコミュニティを持つことによって心理的な負担が減少するのは非常に納得した。いっぽうで、snsなどの出現に伴って抜け出しづらくなるという話も出ていたが、個人的にデジタル化による現実/バーチャルの差とともに、物理的な地域差も従来よりも増加しているのではないかとも思えた。マクロ的な教育問題について考えると、都市からの地理的な距離によって受けられるサービスも違えば、情報リテラシーみよって受けられるサービスの情報も少ない。地域の方が地域凝集性が高い気がするので、もし地域でそういったいじめが発生した場合に都市地域とどういう差が生まれるか気になった(例えば、地域の方がコミュニティのつながりが強く適切なケアが受けやすい、逆に地域の方が複数のコミュニティが存在しづらい、環境から飛び出しづらいなど)。実際発生したいじめ自殺問題も地方だったので、そこの考察も含めて検討したいと思った。(文学部3年)
前半の講義は、よく聞いたことのあるような話で、当たり前じゃないかと最初は思っていたが、悪循環の連鎖の部分を聞いた時、人と人の繋がりについて考えさせられた。子供にとってのBフレームが、まさに親にとってのAフレームとなっていく。様々な原因の結果として現れた行動がまさに、他の人の行動の原因となっていくという構造は、この社会で人が影響を与え合わずにはいられないということだと思った。後半の講義で山下さんが最後におっしゃっていた、「『自分もかつて子供だった』は通用しない」という言葉は、どんな立場の異なる人を理解しようとする営為も、想像力を最大限に持って臨むことが大切なんだということだと思う。そして想像力では補い切れないところの差異を認め合うことがつながることなのだと思った。山下さんの仕事は、自分だけではなく、読者の不特定多数の人と子供たちの声とをつなげるモノだ。だからそういう意味で、それを読む私たちにも想像力が必要だ。(文学部3年)
下山先生のおっしゃっていたキャラの演じ分けを考える時の基準として自分の心を使うという話は、自分の状況を客観視しなくても問題を把握できるという点で素晴らしいと思った。一方で自分の心の中で葛藤が起きていることが自己提示に悩みを感じている人の中では多いと思うので、そこでどのように問題に取り組むかということが新たな問題としてあると感じた。
自己提示に悩みを抱えている人は本当に表現したい自分を誰にも提示できないために葛藤を自分一人で対処する必要があるという深刻な事態になっているように感じた。というのも友達にもキャラとしての自分を提示してるために相談している悩み自体が理解されない可能性が十分にあるからだ。
これからも子供達の生き方を考える上でキャラとしてどう提示すべきかという問題に大人がどう関わっていくのかということは考えていきたいと感じた。(文学部3年)