一ノ瀬 正樹

(武蔵野大学教授・東京大学名誉教授 哲学)

「人と動物のつながり?―ハチ公、けれど鳥獣害―」


予習文献

・一ノ瀬正樹「「ハチ」そして「犬との暮らし」をめぐる哲学断章」『東大ハチ公物語』東京大学出版会, 2015, pp.25-55

・一ノ瀬正樹「断章 いのちは切なし-人と動物のはざま」『哲学雑誌』130巻802号, 有斐閣, 2015, pp.46-74

・一ノ瀬正樹「被災動物、そして動物倫理の暗闇」一ノ瀬正樹・早野龍五・中川恵一編『福島はあなた自身―災害と復興を見つめて』福島民報社, 2018, pp.164-181

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

 人間とその他の動物は自然界の中で、食物連鎖の関係や持ちつ持たれつの関係を築いてきた。例え人間が一部の動物をペットとして飼うようになって従来の秩序が変化しても、それぞれは種として適応し、新たな関係性を築いてきた。そのため今、私が動物との関係で問題だと考えるのは人間が動物を人間の領域に留めることではない。それを人間が支配する”モノ”のように扱い(まるで大量生産・大量消費できる製品のように)、動物の尊厳を度外視していることにあると考える。

    人間は人種や性別など異なる性質を持つ他者を差別し虐げてきた歴史がある。しかし、相手が言葉を発せられる人間である限り解決の道は閉ざされていない。しかし、動物は言葉が通じないため推測でしか相手の意図を汲み取れない。そのため、人間は簡単に相手の目線を失い、その生命の行末に時に残酷になる。食を通して命をいただくことも、ペットとして共に暮らすことも、すぐに変えることが難しいし個人の自由ではあるけれど、一度は動物の目線に寄り添った物語を考える必要があると考えた。(法学部3年)

 

 主に動物倫理がテーマの回であった。動物も痛みを感じたり死にたくなかったりする、というのは感覚的には受け入れることができる。しかし講義中の議論には納得できない部分が多かった。

 例えば、ハチ公の物語に人が感動する現象のモデルとして提案された退廃モデルと補償モデルに人間を優位に見る上から目線を感じるのは共感できる。でも、だからといって犬を人間より優位に置く必要はあるだろうか。人間と犬を対等に考えればよいのではないだろうか。

 種体という概念については、進化生物学で古典的な群選択は実際には生じておらず、遺伝子単位で自然選択の対象になることが指摘されている。つまり少なくとも進化生物学的には、犬は種体として行動していない。

 動物倫理には、人間の上から目線の存在を感じた。動物を殺すべきでない、という主張の前提には、人間は動物を殺さずとも生きていける、という考えがあるように思われるが、ヒトも動物である以上、それは必ずしも自明ではないのではないだろうか。(工学部3年)

 

 授業で提示された返礼モデルに少しだけ違和感を感じた。犬が種体として人間を選んでくれたとしても、犬の愛情に対して返礼を加えていくという行為は結局人間主体になってしまう。議論を犬目線から始めたが、犬との関係性の構築については人間目線に戻ってしまっている。この問題を解決すべきために、犬の幸福というものを人文学的な知見から離れて生理学的に捉えるようなモデルの方が犬を主体とした関係構築に近づける気がした。

 動物倫理について改めて考え直してみると、今までの自分の見方は動物を勝手に類別しているように感じた。自分が親愛に情を抱きやすい犬や猫のことは感覚体として見れていたが、自分が生きている動物として関わることのない豚や牛などは感覚体としてみることができていなかった。この違いが単純に触れ合う数によるのか動物の種によるのかということは動物倫理を考える上で価値があると思う。動物倫理は人間主観のものにしかなりえないので、どのようにして感覚体として認識できるのか、どのようにして感覚体として認識するのかを再検討するは大切だと感じた。(文学部3年)

 

 動物と人間の繋がりについて考えるのはなかなか難しいと感じた。「動物」に人間を含むかどうかでけっこう議論の内容が変わってくる。

 一ノ瀬先生は人間と動物を完全に切り離した上で、動物を人間と対等な存在として扱いたいと考えているようだったが、私や同じディスカッショングループのメンバーは人間も動物であり、他の動物を人間同等に扱う必要はないと考えている人が多かった。

 もちろん現在の地球上で人間ほど力が強い動物はいないので、食物ピラミッドの頂点に立つ存在として人間が他の動物を保護することは必要だと思う。でもそこに慈愛の精神が含まれるかどうかは重要ではない気がした。鳥獣害に関しては、野生の動物たちの生息地および食糧を奪っているという背景において人間に責任があるため何らかの対応をするべきだと思うが、家畜の権利については、食糧にするため生殖から管轄している動物なので考慮する必要がないのではないだろうか。

 色々な見方ができる問題だと思うのでもう少し詳しく調べてみたい。(文学部3年)